マイボニー 真実は・・・ [BEATLES]
前回の記事でシングルレコードの“My Bonniy”が
大変なことに・・・ って書いたので、
今回はブライアン・エプスタインのお話。
ブライアン・エプスタインと言う人は
ビートルズのマネージャーとして最もよく知られ、彼らからはエピーという愛称で呼ばれていました。
そもそもブライアン・エプスタインがBeatlesの存在を知ったのは、
1961年10月28日
トニー・シェリダン(伴奏がビートルズ)の
シングル“My Bonniy”を、レイモンド・ジョーンズという
ビートルズファンがブライアンのレコード店(nems)に
買いに来たときだった。
って、言う定説があるのだが・・・。
1961年6月22日
ドイツでMy Bonniyが発売されました。
この定説は、信憑性に乏しいとも言われている。
ブライアンは1961年8月3日発行のマージー・ビート3号から音楽コラムを担当、、、、。
このマージー・ビートの2号(前号で、当時のマージー・ビートは隔週誌)の
トップ記事はBeatles。
3号から音楽コラムを担当することになっている人が、その二週間前に発行された2号の
トップ記事を知らなかった…というのは・・・なのである。って言う説。
でも、また一方では、ポップミュージックに、まったく興味がなく
クラシックとオペラを好んでいたブライアン。
なので、雑誌は手元にあるけど読んでいない可能性も・・・。
読んでも、記憶に残らない・・・。
で、
このマージー・ビートを通して、当時人気のあったバンドに興味を持った。って、言う説も。
ま、
どっちにしてもブライアンと友人のアリステア・テイラーは、
バンドの演奏を見るために1961年11月9日に、キャバーン・クラブを訪れた。←これは事実です。
クラブは自分のショップからわずか2~3分の場所にあるキャバーン・クラブに行って
出演していたBeatlesに興味を持ち契約に至った。って、言う説。
自分の店から2~3分で
Caven!!! うらやましい~~~ (^^♪
なお、アリステアの著書『シークレット・ヒストリー』には、
「レイモンド・ジョーンズっていうのは、客たちが欲しがっている
ビートルズのレコードってやつを入手したくて、僕が適当に考え出した
架空の人物なんだから。
(原文)」と書いてある。
ま、なんにしてもブライアン・エプスタインがBeatlesに興味を持ったのは
My Bonniyが大きくからんでいるのですよ。
50年前の1月12日
キャバーン・クラブでのステージのあと、
ワラシー=ニュー・ブライトンのタワー・ボールルームで演奏。
メインとして予定されていたバンドが現れず、急遽ビートルズがメインを務めた日でした。
面白いですよね~! ブライアンにしても、ジョージ・マーティンにしても、
ロックとはホント無縁な人たちなんだから^^ でも この二人の理解が
無かったら(いなかったら)、ビートルズは後世に残る、No.1 バンドに
なれなかったかも知れませんからね....?!
by yukky_z (2012-01-12 23:31)
自分が記事を書く本でも
購読はしてないってコトなんでしょうね
確かに 自分が出た号だけは買うかも・・・・
想像ですが (*'ー'*)ふふっ♪
by chunta (2012-01-12 23:32)
ryo1216さん
ナイスありがとうございます。
by ノーバッド (2012-01-13 11:14)
マチャさん
ナイスありがとうございます。
by ノーバッド (2012-01-13 11:15)
yukky_zさん
ホントに!! 奇跡の連続だったのかも。
もし、Beatlesがデッカのオーディションに受かっていたら・・・
どうなっていたんだでしょうね。
by ノーバッド (2012-01-13 11:17)
chuntaさん
確かに
自分が書いた記事は読む。って、人が結構多いかも (・_・;)
by ノーバッド (2012-01-13 11:18)
レトロな 記事が おしゃれです
50年前が 遠くに感じませんね
by いちご☆ (2012-01-14 14:23)
雰囲気の素敵な写真だな~^^
by jewel (2012-01-14 17:31)
いちご☆さん
ハイ。つい、この間です (^^ゞ
by ノーバッド (2012-01-24 14:39)
リンさん
ナイスありがとうございます。
by ノーバッド (2012-01-24 14:39)
jewelさん
ホント。
あの頃の雰囲気は東京も素敵でしたね。
by ノーバッド (2012-01-24 14:40)