オーディション合格 ヽ(^o^)丿 [BEATLES]
BBCのブロードキャスティング・ハウスでラジオ出演のためのオーディションを受ける。
結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 合格 ヽ(^o^)丿
3月7日収録の『ティーンエイジャーズ・ターン』への出演が決まる。
BBCの建物
かっこいいですね。
50年前の2月12日(月)の事でした。
翌、13日には
ジョージ・マーティンとエプスタインが初顔合わせをして、、、、。
ビートルズのデモを聴きました。
いっちゃん最初にジョージ・マーティンはボーイズのデモを聴いてどう思ったんでしょうね。
4人やっとそろった (^o^)v [BEATLES]
リバプールの、とある昼下がり。
キャバーン・クラブでランチタイム・セッション。
(平日の昼にライブをやる!!ってのが凄いですね)
その日の夜はサウスポートのキングスウェイ・クラブで演奏。
このクラブ。結構高級なのです。だんだんエプスタインの力が発揮されています。
で、
この日はどう言う日かとゆうと・・・・・・・・
体調の悪かったピート・ベストに代わり、
ロリー・ストーム&ハリケーンズ在籍中だったリンゴが
Beautiful Dreamer” スタンダード曲ですね。
で、この曲。Beatlesも演奏しています
ジョン、ポール、ジョージの3名と一緒に
キャバーンとキングスウェイの両方で臨時のドラマーを務めたのです。
(この日、ロリー・ストーム&ハリケーンズのライブはなかったのです)
そうです。
初めて4人で演奏した
歴史的な日なのです (^^♪
この後、4人が一緒になるのは、まだまだ先の話なのですが・・・・・・・・・・。
BEATLES 歌詞Tシャツ [BEATLES]
年が明けました ヽ(^o^)丿
月が明けました (^o^)v
早いもので、今年も残すところ後11ヶ月
今年の冬は13年ぶりの寒さとかで
さすがのオイラも
2~3回暖房を点けました。
未だに24日に降った雪 →
の残骸が残って
近所のガキお子様の
格好の遊び道具になって居ますが
皆様、いかがお過ごしでしょうか?
ここからが本題です。
オイラのBeatles仲間(Beatles仲間ってのも変ですが)の
NさんのFacebookに載っていたのが
LORDS OF LIVERPOOL lyrics by The Beatles ←クリックを
“lyrics by The Beatles”って言うので
歌詞がTシャツになっちゃったもの。
これもNさんのFacebookに書いてありましたが
Beatlesものは、なんに限らず版権が高いので
Tシャツでも生地的にはうん百円でも、うん千円くらいしてしまうのです。
でも、これは歌詞なので大丈夫かと。
1,500円/枚です。で、早速買ったのが、これ
バックプリントも良い感じです (^o^)v
もう1枚は
これはバックプリントは無し。
首のところにあるのはタグです。
これも50周年に・・・・関係ないな、たぶん。。
でも、1,500円なら、もう一枚買っても良いかな。
Nさん情報ありがとうございました m(._.)m
ビートルズとのマネージメント契約 [BEATLES]
50年前の1962年1月24日。
ビートルズとブライアン・エプスタインとのあいだに正式なマネージメント契約をとりかわしました。
NEMS(ブライアン・エプスタインのレコード店)のオフィスで
キャバーン・クラブのランチタイム・セッションに出演したあと、
ビートルズとの間の契約書にビートルズ全員の署名が取り付けられる。
(マネージメント契約は1961年12月21日)
マネージャーに就任したエプスタインは
ピートルズを売り出す為、戦略をつぎつぎに考え出して、実行していきました。
まず最初に手を
つけたのは
荒々しく野生的な
ビートルズの
イメージをスマートで
洗練されたグループの
イメージに変えること。
皮ジャンと
細身のジーンズ
黒いブーツのかわりに・・・。
・・・・考案されたのが、あの有名な襟なしスーツでした。
写真撮影の時も今までの様な、ふてぶてしいイメージではなく、
さわやかなイメージが要求されました。
続いてステージでのマナーも一新され、演奏スタイルも決められました。
ワンステージ10曲!!! 30分以内で行う事。しかもベストナンバーのみを演奏し、
アンコールには応じない事。 ビートルズの曲は、どれでもベストナンバーなのですがね (^^ゞ
今まで自由きままにやってきたビートルズが素直に聞く訳が無く・・・・・、
と~~ぜん抵抗を。
しかし、リバプールの人気グループになった今。。。。
新たな飛躍を期す為には、この新しいマネージャーの言う通りに行うしかなかった。
エプスタインがビートルズに賭けたのと同じ様に、
ビートルズもまた、エプスタインに自らの運命を賭けた。 ←賢い選択でした (^o^)v
一方エプスタインはデッカのオーデションの後ロンドン中を駆けめぐっては
次々にレコード会社にアタック。
コロンピア、エイベックス、フィリップス、テイチク、ベルウッドなどなど・…(一部ウソが入ってます)
しかし、どこもリパプール出身のバンドなど相手にしてはくれなく・・・・
デモテープすら聴いてくれませんでした。 ←愚か者め
そしてエプスタインは、この後も奔走を続けていき、
ついに、2月にパーロフォンにたどり着くのです。
マイボニー 真実は・・・ [BEATLES]
前回の記事でシングルレコードの“My Bonniy”が
大変なことに・・・ って書いたので、
今回はブライアン・エプスタインのお話。
ブライアン・エプスタインと言う人は
ビートルズのマネージャーとして最もよく知られ、彼らからはエピーという愛称で呼ばれていました。
そもそもブライアン・エプスタインがBeatlesの存在を知ったのは、
1961年10月28日
トニー・シェリダン(伴奏がビートルズ)の
シングル“My Bonniy”を、レイモンド・ジョーンズという
ビートルズファンがブライアンのレコード店(nems)に
買いに来たときだった。
って、言う定説があるのだが・・・。
1961年6月22日
ドイツでMy Bonniyが発売されました。
この定説は、信憑性に乏しいとも言われている。
ブライアンは1961年8月3日発行のマージー・ビート3号から音楽コラムを担当、、、、。
このマージー・ビートの2号(前号で、当時のマージー・ビートは隔週誌)の
トップ記事はBeatles。
3号から音楽コラムを担当することになっている人が、その二週間前に発行された2号の
トップ記事を知らなかった…というのは・・・なのである。って言う説。
でも、また一方では、ポップミュージックに、まったく興味がなく
クラシックとオペラを好んでいたブライアン。
なので、雑誌は手元にあるけど読んでいない可能性も・・・。
読んでも、記憶に残らない・・・。
で、
このマージー・ビートを通して、当時人気のあったバンドに興味を持った。って、言う説も。
ま、
どっちにしてもブライアンと友人のアリステア・テイラーは、
バンドの演奏を見るために1961年11月9日に、キャバーン・クラブを訪れた。←これは事実です。
クラブは自分のショップからわずか2~3分の場所にあるキャバーン・クラブに行って
出演していたBeatlesに興味を持ち契約に至った。って、言う説。
自分の店から2~3分で
Caven!!! うらやましい~~~ (^^♪
なお、アリステアの著書『シークレット・ヒストリー』には、
「レイモンド・ジョーンズっていうのは、客たちが欲しがっている
ビートルズのレコードってやつを入手したくて、僕が適当に考え出した
架空の人物なんだから。
(原文)」と書いてある。
ま、なんにしてもブライアン・エプスタインがBeatlesに興味を持ったのは
My Bonniyが大きくからんでいるのですよ。
50年前の1月12日
キャバーン・クラブでのステージのあと、
ワラシー=ニュー・ブライトンのタワー・ボールルームで演奏。
メインとして予定されていたバンドが現れず、急遽ビートルズがメインを務めた日でした。